個人の職人芸を事務所全体の力に

梶原会計事務所  公認会計士・税理士 行政書士
梶原岳男 先生
東京都豊島区西池袋5-26-16 CHIBA ビル6F

駅直近という非常に便利な場所に事務所を構え、また、自転車で来所されるお客さまもいらっしゃるという地元密着の会計事務所です。多様なニーズに日々対応されています。

なんといってもお伺いするのに駅から1分かからない、とても便利な場所に事務所がありますね。

梶原先生

駅から近いうえ駐車場や駐輪場もあるので、お客さまにもお越しいただきやすい環境です。事務所は6階と2階になりますが、2階はセミナーやお客さまとの打ち合わせをする場所になっています。

現在の事務所はお父さまから承継されたとのことですが、承継についてご苦労された点をお聞かせください。

梶原先生

バブルピークの平成元年に父から事務所を引き継ぎました。それまでは、監査法人に10年ほど勤務した後独立し、自分の会計事務所を開設していたのですが、父が急に体調を崩して入院し、その1週間後に亡くなってしまいました。引き継ぎの時間などはなく、事務所の承継と相続を同時に経験することになったので本当に大変でした。

お客さまは、急な父親からの承継なので、事務所を引き継ぐ私のことを知りませんでした。「後を引き継いでくれるならそれだけで十分」と言っていただけるお客さまもいらっしゃいましたが、お客さまは私がどんな人物か見ていたようです。事業承継と相続が別々であれば、もっとスムーズに進めていけたかもしれないと思うこともありましたが、逆に「このような経験をした税理士はそうはいない、自分はそういう意味ではとてもラッキーだ」と考え、受け入れてくれたお客さまに感謝しました。また、当時の事務所職員はほとんどが父の世代の方々でしたから、従来の業務のやり方を変えていくのには相当腐心しました。とにかくやり方を変えるために、承継から数年後には、会計事務所としては当時ほとんど取得されていなかったISO認定を取得しました。従来の税理士事務所に見られる個人の職人芸での業務を、組織として対応していくために仕組から変えていきました。

お父さまとの違い、先生ならではの特色はどのように出していかれたのでしょうか?

梶原先生

半世紀以上前は、会計ソフトなどなかった時代ですので、お客さまは帳簿付けから税理士事務所に任せるしかありませんでした。次の時代になると、今度は節税や高度成長期に向けてどう対応していくのかといったことが中心になってきました。 そして、私が承継した平成は右下がりの時代です。それまでほぼ一緒であったお客さまのニーズは、お客さまそれぞれで違ってきました。お客さまの本当のニーズをつかみ、一人ひとりにどう対応するのか、そのことに力を入れてきました。

例えばお客さまへの訪問については、私自身どんなに小さな会社でも年1回は訪問するようにしています。しかし、中には毎月お会いするところもあれば、必要な時だけ、という方や、担当の方に来ていただいているので十分です、という方もいらっしゃいます。また、当事務所へ毎週のように訪れるお客さまもいらっしゃいます。自計化についても、こちらの都合ではなく、お客さまの都合で対応しています。

フリーパスポートの会員になっていただいていますが、その活用方法や利用されている理由を教えてください。

梶原先生

自分が興味のあるテーマ以外のものもなるべく聴くようにしています。なぜなら、興味のあるテーマは、聴いて「なるほど」と思いますが、興味のないテーマは「へー、そうなの」という気付きを得ることができるからです。そこが大きいですね。あとは事務所内で毎回届いた内容を回覧し、テーマによっては聴いてほしい人に勧めています。

仕事上、急に何か聞かれたことに対していろいろ考えて、3日後に80、90%の回答を出すよりは、聞かれた30 分後に50%でも60%でもいいから答えを出していくことが大事だと思います。最初からきちんとしたものではなく、完璧でなくてもいいからとにかく早く。これが第一で、分からないことはその後で調べていけばいいと思います。

特に、実務の現場ではさまざまな問題が出てきますので、とりあえずその場で答えを出します。ただそれが正確かどうかは調べて後日回答するので待っていただく。そして、事務所に帰ってから調べ、ここは良かったがここはもう少し検討した方が良い、などを確認します。

お客さまから聞かれたことに対して、「調べてきます」と言っておいて、次回訪問した時に「前回質問した件どうですか」と聞かれて、「えーと、何でしたっけ」というのは最悪です。事前に関連テーマを一度でも聴いておけば、そうした事態を防ぐこともできます。職員全員が同じよう対応できるためにも、フリーパスポートは役立っていると思います。