「清水の舞台から飛び降りた」税理士への道

小森会計事務所  税理士
小森孝一 先生
東京都中央区京橋1-14-6 ガーデニアビル6F

卒業後に就職した小売業界と出版業界での人との出会い。そこで学んだ、仕事に対する考え方を今も大事にされています。また、高校時代は野球部だったこともあり、「ボールを握っていると落ち着く」と、お話の最中もボールを握られていたのが印象的でした。 また、事務所は会計事務所らしくないクリエイティブな雰囲気の事務所にしたかったという先生のこだわりもあり、蛍光灯などもむき出しにせずとても明るくきれいな事務所です。

大学卒業後、株式会社鈴屋(婦人服小売業、以下鈴屋)に入社。その後、株式会社毎日コミュニケーションズ(就職情報・出版他)を経て、事務所開業、とユニークな経歴ですが、その辺りからお聞かせください。

小森先生

税理士との出会いは遅く、30歳を過ぎてからでした。卒業してすぐは鈴屋に入社。2年目の時に青山ベルコモンズのオープンに当たってのプロジェクトの一員として、いわゆるマーケティングや店舗での接客などさまざまな経験を積ませていただきました。

今後の進むべき道を模索する中、辞めることを上司に伝えたとき、「鈴屋で何かまとまった仕事をしたのか?」と聞かれました。

「正直やっていない」と答えると、「だったら一緒に管理運営のマニュアルを作らないか、それをやってから辞めたって遅くはないだろう」と言われました。何かこれをやった、というまとまった仕事に携わってから辞めたほうが、これかの人生にとってもプラスになると言われ、一緒に作ることになりました。

結果として、これは私の中で自信になりました。これが無ければ中途半端に辞めていたかもしれません。リーダーの一言というのは、時に人生を大きく変える力を持っていると感じた体験でした。

余談ですが、その時の上司が、その後カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社を創業された方でした。 その後、株式会社毎日コミュニケーションズに入社することになりましたが、独立して自分で事業をしたいという思いがありました。そうした中、税理士資格と出会い、平成12年に開業。毎日コミュニケーションズが顧問契約

を結んでくれたとはいえ、顧問先1社からのスタートで、まさに清水の舞台から飛び降りた気持ちでした。

税理士として今までで思い出深かったことを教えてください。

小森先生

途中から係った「収用」の案件でしょうか。「収用」はそれまで経験したことがありませんでしたが、比較的大きな案件でした。初めての事で分からないことが多い中、途中から引き継いだのでかなり大変な思いをしました。

しかし、結果的には自分のキャリアになったと考えています。今はもう細部まで覚えていませんが、「やった」という実績があるので、見直せば思い出せるという安心感がありますから、収用は何がきても怖くないですね。

そのようにこれまで経験されていないことを相談された時の小森先生の対応のコツを教えてください

小森先生

われわれ税理士は、経験しないことのほうが多いのですが、経験がないからと尻込みしていては、いつまでたっても身になりません。目の前にこれまで全く経験しないことが現れた時、他の人に丸投げしてしまっては、自分のキャリアになりません。

しかし、一般的な教養知識では実務対応できません。実務書を見てもポイントが分からないので時間がかかります。したがって、レガシィさんのCDのように実際に経験した人の話を聞くことが近道ではないでしょうか。

何とかして経験した人の話を聞く機会を見つけ、あとは自分が主体的に、「この問題を必ずやっつけてやる」という意欲が必要だと思います。

どこから手を付けて良いか分からなくても、もがいているうちに糸口は見えてくるものです。

先生が大事にされていることを教えてください

小森先生

まず、感謝の気持ちです。お客様は紹介していただくことがほとんどですから、いい人を紹介してくれてありがとうと言ってもらえるよう、紹介者の顔をつぶすようなことをしない。天野先生が言われている「恩人」という認識ですね。

才能があっても努力が無ければ実績はあげられません。努力を継続できるのは一つの才能だと思います。ですから、地道にきっちりと、お客さまを裏切らないように仕事を積み上げていくことを大事にしています。